インド競馬予想ブログ

インド競馬の予想を中心に、
レース体系や種牡馬などについて書きます。


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インドの種牡馬

ハクチカラの子孫を探す



日本馬として初めて海外の重賞を制覇したハクチカラ。
現役時代は輝かしい競争成績を収めたハクチカラですが、その成績に反して種牡馬としては、内国産馬が不遇の時代に供用されていたこともあって肌馬はアラブや二流牝馬ばかりと寂しい種牡馬生活を送ります。
1968年にインドに寄贈されクニガル牧場で供用されることとなったハクチカラは、10年間の種牡馬生活の間に28頭の産駒を輩出し、インドのクラシックを制覇する名馬も生み出しました。

ハクチカラがインドに寄贈され、素晴らしい産駒を出したというのは有名な話ですが、果たして現在、ハクチカラの血を引く馬は残っているのでしょうか。
日本でハクチカラの血を引いている馬は、ミスハクギンの産駒たちがいるようですが、ミスハクギンはアラブ種であるため、サラブレッドでハクチカラの血を引く馬は日本には残っていないようです。

では2016年現在のインド競馬界にはハクチカラの子孫は残っているのでしょうか。探してみたいと思います。
ただ探すだけではつまらないので、見つからなかったり諦めたりした場合は細江純子で抜くというルールを自分に課してスタートします。


まず、探すといってもどうすればいいのか。
現在インド競馬で活躍しているサラブレッドの血統表を、一頭一頭確認していくということを考えましたが、ハクチカラの血を見つける前に白痴になってしまいそうです。
そもそも、ハクチカラは前述のとおりインドで供用されている間に28頭の産駒しか出していません。
数少ない産駒の中からトーカイドーエクスプレスやトップスピンなどの優秀な牡馬を出していますが、種牡馬として供用はされていませんので、牝系から探していくしかなさそうですね。

まずはインドで生まれた28頭のハクチカラの産駒を調べましょう。
しかし、The Stud Book Authority of Indiaのサイトでも残念ながらハクチカラの産駒を一覧で見ることが出来ず、というより種牡馬一覧にハクチカラの名前がない。
開始早々不可解な出来事に遭遇してしまい、いつもだったらオナニーでもして寝てるところなのですが、このままではオカズが細江さんになってしまいます。もう少し粘ってみましょう。
種牡馬一覧にハクチカラの名前がないのに、なぜか母父検索の欄にハクチカラの名前を発見したので、そこからアプローチしてみます。

hakuchikara

ハクチカラを母父に持つ馬が13頭出てきました。
ここから13頭の血統を調べたりなんやかんやして、ハクチカラを父に持つ繁殖牝馬を何頭か見つけることが出来ました。

Miss Tokyo
Golden Alpha
Delora Girl
Green Bud
Gold finder
Milady Luck



ハクチカラを父に持つ馬の中で、The Stud Book Authority of Indiaなどを利用して発見でき、なおかつその後のラインを追うことが出来た牝馬は以上の6頭です。
ハクチカラがインドで生んだ産駒は合計28頭。牡牝の内訳は分かりませんが、仮にそのうちの半分が牡馬だったとすると牝馬は14頭。
14頭のうちの6頭は発見できましたが、残りの牝馬たちは見つかりませんでした。仕方がないので今回はこの6頭からハクチカラの子孫を探してみましょう。
ハクチカラの血を現在まで引いている馬を探すのにあたり、重要なのは牝系です。
牡馬の場合は例え輝かしい戦績を挙げたとしても、インドで種牡馬になることはまず間違いなく出来ませんので、注目すべきは牝馬となります。


Miss Tokyo(1970年生まれ Hakuchikara × BIBLE STORY (GB) )
まず1頭目はMissTokyoを見てみましょう。
MissTokyoは確認出来る産駒が3頭おり、うち1頭が牡馬で2頭が牝馬です。

1,Miss World (1979年生まれ  Fair World × MissTokyo)
 現役時代は未勝利ですが、繁殖入りしてからは1頭の牡馬、4頭の牝馬を出産しています。
  
 →Meher-E-Murshad (1984年生まれ  Knight of Medina × Miss World) 
   獲得賞金が0なのでおそらく不出走だと思います。繁殖入りはしていない模様。

 →Bold Miss (1986年生まれ Borisgodunov[IRE] × Miss World)  
   未勝利で繁殖入り。Stadler[IRE]と配合されたものの、不受胎のため産駒は残せず。1993年死亡。

 →Chief Singer (1987年生まれ Chief Admiral[USA] × Miss World)
   競争成績、繁殖成績共に不明

 →Braveandbeautiful (1991年生まれ Chief Admiral[USA] × Miss World)
   24戦0勝。繁殖入りはしていない模様
  
2,Sangria(1982年生まれ Road to Glory[FR] × Miss Tokyo) 
 競争成績は不明。繁殖牝馬としては1996年に死亡するまでの間に4頭の子を出産。うち牝馬は2頭。
 
 →Providence (1992年生まれ Allah Rakhkha × Sangria)  
  競争成績は30戦2勝。2年連続でTocave Botta[USA]が付けられ2頭の産駒が生まれたものの、競走馬デビュー、繁殖入り共にしていない模様。

 →Dancing Great (1993年生まれ Hadaaf[USA] × Sangria)
  12戦1勝。繁殖入りしたものの産駒を残せず2000年に廃用。

MissTokyoから現在に繋がるラインは切れてしまいました。


Golden Alpha (生年不明 Hakuchikara × 母不明)
続いてはGoldenAlpha。生年と母の名前は分かりませんでした。
この馬の産駒からは、一頭の牝馬が確認できました。

1,Aisha (1987年生まれ Arrogant Lad[GB] × Golden Alpha)  18戦1勝
 競争成績は18戦1勝。一頭の牝馬を残しています。

 →Silent Whisper (1994年 Vibration × Aisha)
  1996年から1999年の12月まで走り、通算成績は64戦3勝。繁殖入りはしていない模様。

GoldenAlphaのラインからもハクチカラの子孫は発見することが出来ず。


Delora Girl (1972年生まれ Hakuchikara × Delora)
 続いてはDeloraGirlです。他のハクチカラ産駒の牝馬と比べて比較的長い期間、10年以上もの間繁殖牝馬として繋養されました。
 しかし不受胎などが多くあったほか、デビュー前に死亡した産駒などもいたため、競走馬としてデビューすることが出来た産駒は2頭のみ。1992年に死亡。
 
 
1,Magic Show (1986年生まれ Knight of Medina × Delora Girl) 
 未勝利のまま引退。繁殖入りはするものの産駒は残せずに1995年に廃用。


実質2頭の産駒のうちの1頭であるPulveriseは、41戦5勝とそれなりに活躍したようです。



Green Bud(生年不明 Hakuchikara ×母不明)
 またまた詳細のよく分からない馬ですが、確認できるだけで2頭の牝馬を出産しています。

1,Iskcon (1986年生まれ Own Opinion × Green Bud)
 父オウンオピニオン、母父ハクチカラという何とも心躍る血統の馬でしたが、競争成績は振るわず18戦1勝で引退。 繁殖入りはしていない模様。

2,Proud Princess (1987年生まれ Republican × Green Bud)
  競争成績は30戦4勝。引退後は繁殖入りし、一頭の牝馬を残しています。

 →Chandan Ka Palana (1996年生まれ Forest Fair[USA] × Proud Princess)
  競争成績は18戦1勝。繁殖入りはしていない模様。


Iskconの血統は面白いですね。


Goldfinder (1970年生まれ Hakuchikara × Lovely Dream)
ようやく期待出来る馬が現れました。1974年にカルカッタオークスを制したゴールドファインダーです。
繁殖牝馬としても期待されていたのか、1980年~1991年までの間に9頭の産駒を残しており、うち牝馬は4頭。
1980年に生まれたRoyal Consort、1982年に生まれたLucky Goldは共に牝馬であったものの、血統、繁殖成績ともに見つかりませんでした。

1,Rodeo Drive(1983年生まれ Arrogant Lad[GB] × Goldfinder)  
 競争成績は不明。繁殖入りしてからは毎年毎年Ponzaという謎の馬と交配を続け4頭の産駒を残していますが、牝馬は一頭も見つかりませんでした。
 
2,Ducat(1991年生まれ Arrogant Lad[GB] × Goldfinder)
 現役時代は11戦1勝。繁殖入りはしていない模様

重賞勝ち馬ということで産駒に期待したのですが、牡馬、牝馬ともにパッとしない成績。
RodeoDriveが毎年Ponzaを付けられていたのと同様に、Goldfinderも毎年のようにArrogant Ladという謎の馬との配合。
そして気になったのはこの文章。

goldfinder

「Destroyed in Aug 1991」
他の馬たちの場合は「Struck off in 1991」や「Died in 1991」などと書かれていて、これなら分かります。
でもGoldfinderの場合はDestroyedですからね。どういうこと?デストロイて。


Milady Luck (1970年生まれ Hakuchikara × Certain Smile) 
 最後になってしまいました。Milady Luckです。
 競争成績は不明。繁殖入りしてからは、1994年に死亡するまでの間に牝馬を3頭残しています。

1,Bishnupriya (1985年生まれ Knight of Medina × Milady Luck)
 繁殖入りはしたものの牝馬は生まれず。1994年に死亡。

2,Bishnushakti (b f 1988 by Charon ex Milady Luck) 
 6戦未勝利で繁殖入り。残した4頭の産駒のうち、牝馬は2頭。

 →Hey June (1993年生まれ Ponza[USA] × Bishnushakti)
  現役時は1戦未勝利。繁殖入りはしていない模様。父がPonza。
  
 →Nartaki (1994年生まれ Mulhollande[USA] × Bishnushakti)
  8戦未勝利で引退。繁殖入りはしていない模様。

3,Milady's Gift (ch f 1989 by Charon ex Milady Luck)
 競争成績は不明。1997年に廃用となるまでの間に2頭の牝馬を出産しています。
 
 →Divine Grace (1995年 Ponza[USA] × Milady's Gift)
  4戦未勝利で引退。繁殖入りはしていない模様。また出たPonza。

 →Takeo Sucess (1996年生まれ Ponza[USA] × Milady's Gift)
  競争成績、繁殖成績ともに不明。Ponza産駒。



頑張って探したのですが、ハクチカラの子孫を発見することは出来ませんでした。
しかし、今回はハクチカラを父に持つ牝馬のうち、発見することができ、なおかつ血統を追うことが出来た6頭の牝馬の検証しかしていません。
また、今回の6頭の牝馬に関しても、産駒がIndian Stud Bookに載っていない、
あるいは私のミスで確認できなかった馬などがいて、ハクチカラの血を現在まで繋げている可能性もあるかもしれません。繁殖入りはしていない模様などと書いておきながら実は繁殖牝馬として活躍していたなんてことも多いにありえますし。
ハクチカラが生んだ牝馬は他にもまだいるでしょうから、その馬たちの名前が分かればまた検証をしてみたいと思います。


あ、そういえば、ハクチカラの子孫が見つからなかったり、途中で諦めたりした場合は細江純子で抜くというルールでしたね!
ルールはルールです。頑張ります。

さて、長々と書いてしまいましたが、
「ハクチカラの子孫が残っているかは分からなかった。追って報告する。」
などと特命リサーチ200Xのような終わり方で締めるのはどうなのか。
もっとしっかりと、少なくとも、何か得られたことや分かった事だけでも書き残しておくべきではないかと思いました。

今回検証して分かったことや得られたことと言えば、
母父、あるいは母母父にハクチカラを持つ馬は、なぜかPonzaという謎の馬を付けられる。
ハクチカラ産駒でコルカタオークスを制した名牝ゴールドファインダーは、1991年の夏にデストロイ。
そして何より、細江さんでオナニー、意外とイケる。こんなところでしょうか。

そういえば細江さんをオカズにオナニーをしたら、身体の底からチカラが漲ってきたように感じ、白いものがたくさん出てしまいました。
これこそまさにハクチカラ。ナンチッテ。


種牡馬紹介 Kingda ka

2004年生まれのKingda kaは
父FLYING SPUR、母FIZZI LIZZIという血統。

父の母Rollsは現在オーストラリアで活躍中の種牡馬Encosta de lagoの母。
父FLYING SPURは2007/08シーズンにオーストラリアのリーディングサイアーを獲得しており、代表産駒にはAJCシャンペンS(G1),AJCランドウィック・ギニー(G1),AJCジョージ・メインS(G1)などを制しているメンタリティや、2008年の香港スプリントを制したインスピレーションなどがいます。

Kingda kaは現役時代に2勝。重賞での勝ち鞍はなく、2008年ATCローズヒルギニーズ(G1)で2着があるのみと輝かしい競争成績は残せませんでしたが、2010年にnanoli studで種牡馬入りし2013年に初年度産駒が無事2歳を迎えました。

代表産駒に、デビュー以来5戦5勝で重賞を二つ制している3歳牝馬WOMAN O WARのほか、
今年The Maj. P. K. Mehra Memorial Super Mile Cup (Gr.1) を制したZACHARY、The Alcock Arabian Million (Gr.3) を制したKING CHARLESなどがおり、短距離からマイル戦線で多くの活躍馬を出しています。
Sir Ivorの4×4というクロス持ちのため、今後も短距離~マイルあたりで活躍する馬を多く出してくれるのではと期待しています。

繋養先であるnanoli studでは、Kingda kaと同じく父の父にDanzigを持つ2011年の米サンタアニタダービー馬
ミッドナイトインタールードも種牡馬入りしており、2015年に初年度産駒が2歳を迎えます。
僚友であるミッドナイトインタールードに負けないよう、頑張ってもらいたいものです。


種牡馬紹介 CHINA VISIT


1997年に生まれたCHINA VISITは、
父RED RANSOM、母父THE MINSTREL(ノーザンダンサー系)という血統。
父のレッドランサムは現役時代、種子骨の骨折が原因でわずか3戦走ったのみで競走馬を引退。
しかし種牡馬入りしてからはエレクトロキューショニストやインティカブなど多くの活躍馬を出している。

CHINA VISITは現役時代、ゴドルフィン専属の調教師であるサイード・ビン・スルール厩舎に所属し、主にイギリスとUAEで走り、
2000年には創設初年度のUAEダービーで勝利。
この時の2着馬は、のちにフランスダービー、アイリッシュ2000ギニーを制するバチアーでした。
2001年にはG2ダニエルウィルデンシュタイン賞(当時の名称はロンポワン賞)を勝利。
現役時代は重賞で2勝をあげたほか、2001年の香港マイルでは3着。
この時の勝ち馬が福永祐一騎手が騎乗していた日本調教馬エイシンプレストンでしたので、
もしかしたらチャイナビジットという名前を覚えておられる競馬ファンの方もいるかと思います。

2003年に種牡馬入りしたCHINA VISITは、初年度産駒から活躍馬を出し、
2007/08シーズンには獲得賞金ランキングこそPlacer Villeに譲ったものの、
アーニングインデックスランキングで1位を獲得。
産駒の質の高さを証明しました。

インドでの主な産駒にMoonlight Romance。
ムンバイダービー、バンガロールダービー、古馬最強戦であるインディアンターフ招待など10戦7勝、
2着3回という圧倒的な走りで2010/11シーズンのインド競馬界の頂点に君臨した歴史的牝馬です。

しかし近年はなかなか活躍馬を出せておらず、サイアーランキングに名前が載ることもなくなってきました。
China Visitなんていう名前だからでしょうか。
中国とインドはリアルタイムで国境紛争をやっていますので、当然インド人も中国人に対していい感情を見せません。
そんな中、「中国訪問」みたいな名前の馬がインドにやってきたらどう思うでしょうか。
しかも、お父さんの名前がレッドランサムです。
ランサムには身代金とかそういった意味があり、そこにレッドまで付いちゃってます。
まるで赤い共産主義者が身代金を取りにきたようで嫌な気分になるではありませんか。
まぁ生産者はそんなこと露ほども思わないでしょうけど、どうしても、何か名前で損しているような気がしてしまいます。

しかし馬には罪はないのです。
たとえ僕のようなクズ人間から何を言われようとも、気にせず頑張ってもらいたい。
そしてMoonlight Romanceのような名馬をまたターフに送り出してほしいものです。


種牡馬紹介 Dancing Forever


2013/14シーズンのフレッシュマンサイアーランキングで2位を獲得したDancing Forever。

2003年に生まれた同馬は、父RAHY、母DANCING IN MYDREAMS(母父シーキングザゴールド)という血統で、現役時代はアメリカのクロード・マゴーヒー厩舎で競争生活を送ります。
調教師のクロード・マゴーヒーは、サンデーサイレンスのライバルであるイージーゴアを管理していた名調教師です。
馬主はそのイージーゴアを所有していたオグデン・フィップス。
競争成績は通算5勝。重賞ではマンハッタンH(G1)、エルクホーンS(G2)の2勝をあげているほか、2008年のブリーダーズCターフではコンデュイットの3着に入っています。

2009年に競争生活を終え、2010年からはインドのHazara Studで種牡馬入り。
初年度産駒がデビューした2013/14シーズンではフレッシュマンサイヤーランキングで2位を獲得。
しかし、Dancing Forever自身は産駒の活躍を見ることなく、2013年の6月に10歳の若さでこの世を去りました。
繋養先のHazara Studはこの年の9月にも種牡馬REBUTTALを亡くしており、一年間の間に二頭もの有力種牡馬を失ってしまいました。
また、インドでは父RAHYの血を持つ種牡馬として同馬のほかにNOVERREがいたのですが、こちらも2012年に14歳の若さで死亡しています。

インドでの代表産駒にThe Poonawalla Breeders' Multi-Million (Gr.1) でBE SAFEを破ったSHIVALIK STORM。

種牡馬としてこれからという時期に死亡してしまったダンシングフォーエバー。
同じブラッシンググルーム系のNOVERREと共に、デインヒル系やミスタープロスペクター系が主流のインド競馬界に一石を投じる活躍を期待されていただけに、
早世が悔やまれます。

種牡馬紹介 ARAZAN

新進気鋭の新種牡馬ARAZAN

半兄のアザムールはキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの勝ち馬。
父はダンジグ直仔のアナバーで、父としてはヨーロッパのG1競走最多勝利である14勝をあげたゴルディコヴァを輩出しており、近年は凱旋門賞を連覇したトレヴの母父としても知られています。

馬主はブラッシンググルームやダラカニ、ザルカヴァなどのオーナーとして知られる世界的なオーナーブリーダー、アガカーン4世。
日本の競馬ファンの間ではJRAの松岡正海や的場勇人がアイルランドで武者修行を行った際の厩舎として有名な、アイルランドの名伯楽ジョン・オックス厩舎で競争馬生活を送ります。
現役時代の主な勝ち鞍はアイルランドフューチュリティステークス(G2)
2008年のデビュー当初から高い評価を受け、2歳時には同年代で同じ厩舎に所属していたシーザスターズよりも高いレーティングを獲得しクラシックでの活躍が期待されていましたが、アイルランド2000ギニーを前に胸膜炎を発症してしまい3歳シーズンを棒に振ると、その後も病気に泣かされ続け競走馬としては大きな成果をあげることが出来ませんでした。

現役引退後は2011年からインドのPoonawalla Stud Farmで種牡馬入りし、今年3歳を迎えた初年度産駒からはETERNAL FLAMEがG1を勝利。
今週末のバンガロールダービーにもETERNAL FLAMEをはじめ3頭の産駒を送りこんでいます。

競走馬時代は高い評価を受けながら病気に泣かされたARAZAN。
現役時代の僚友であるシーザスターズは一足先にアイルランドで種牡馬入りし、タグルーダやシーザムーンなどの名馬を生み出しました。
アイルランドとインド。国や競馬レベルは違いますが、シーザスターズに負けず劣らず高い素質を持つアラザンも、これからインドで多くの個性的な名馬を出してくれることと思います。
インドで生まれたARAZANの産駒が国際重賞競争に出走してシーザスターズの産駒を破る。
夢のような話かもしれませんが、そんなドラマが見られる日が来ることを楽しみにしています。


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